農園だよりDiary

2024年1

2024.01.10
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い申し上げます


 自然の摂理に従って、今年も新しい年が明けました。自然は有り難いものですが時には非情でもあります。元日早々、北陸地方で大地震が発生し、多くの方が犠牲になり、今日現在でも被害の全容が不明という事のようです。被災された皆様、御縁の皆様には心からお見舞い申し上げます。

 2016年4月、熊本でも大地震が発生し、沢山の犠牲者、建物構造物被害がありました。連日緊急地震警報が鳴り響きゴーという地鳴りの後、足元がゆらゆら揺れる日が続きました。何日も狭い車の中で寝ました。被災された皆様には、さぞかしお辛い日をお送りの事と存じます。熊本の場合は周辺地域から支援の人や物資が直ぐに届けられましたことは有り難い事でした。生きていくのに欠かせない食料について、私の地域は農家が殆どです。我が家も米、漬物、野菜は沢山ありましたので不自由はありませんでした。しかし水道は周りの15軒の家で水道組合を作り自分たちでパイプを敷設して地下水を利用していたのですが、地盤沈下の影響で本管が2か所破損していて蛇口を開けても水が出なくなっていました。地震の翌日、皆で重機やスコップでパイプを掘り出し夕方までかかって何とか修復が出来ました。食事の準備、トイレ、身の回りの事、水道が復旧したことはありがたかったですね。周りの人も沢山水汲みに来ました。それから我が家には加工場があり、小さなプロパンガスボンベがありました。日常の生活は家の中では危険なので納屋の軒先に仮の調理台とガスコンロを置き、そのガスボンベを使って料理を作り生活をしました。アウトドアライフ的な解放感があり不便だけど何か楽しさもある毎日だった記憶があります。身の回りにある物は何でも活用して何とか日々を過ごしましたが電気がないのは何とも仕方がありませんでした。我が家には発電機がありましたが手持ちのガソリンには限りがあります。発電機の電気は携帯の充電や必要最小限にして、早寝早起き。市役所のある中心地区は割と早く電気が使えるようになりましたが、田舎は後回しのようで毎日健康的な生活の実践でした。それから数日してやっと電気が使えるようになりました。田んぼの農道の広い所に確か「中部電力」と書かれた大きな車が止まり、車から電線が伸びて電柱に接続してその車が発電した電気を私の地域一帯に供給していたのだそうです。職員の方が数人、周りで寝泊まりして切断した電線が復旧するまでの数日間、電気を供給して頂いたのは本当にありがたい事でした。熊本地震で被害を受けた電気、水道、道路、あらゆるライフライン復旧の為に全国から沢山の人が駆けつけて頂き、日夜ご活躍頂きましたことは本当に感謝にたえません。やっとライフラインが復旧し、家の片付けをしながら必要な物を買出しに出かけて初めて地震の被害状況が分かりました。そしてテレビが見られるようになり、本当の被害状況を知りました。この惨状の中、我が家で何とか生活できていたことは恵まれていたことに気づきました。

 私達は日頃、何でも不自由なく手にする生活が出来ます。困りごとは市役所に言えば解決してくれます。有り難い事です。しかし一朝事が起きた時、それは本当に恵まれていたことだったんだなと気づきます。しかし不便だからといって落胆することはありません。現在の便利な暮らしの仕組はごく最近出来上がった事で、少し前の人は皆、今の人が思う不便な生活が当たり前の事だったんですから。物事は何とかなるように出来ています。そのうち周りの人が手を差し伸べてくれます。「人」という漢字のように。
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